友の突然の訃報

友達から不在着信があったので、久しぶりの飲みの誘いだろうと思って、折り返し電話した。

電話には奥さんが出て来られたので、「ご主人をお願いします」と告げると、「私が電話しました」という返事が返ってきた。

「実は○○日に主人が亡くなりました」という言葉に二の句が告げられない。

末期ガンで手術が出来ず、ガンと判明して半年で亡くなった。

そう言えば、最近、食欲がないと言っていたが、表情は普段と変わらず、病気のことは隠していたのだろう。

彼は中学・高校を通じての友人で、卒業後、久しぶりに再会して以来、ずっと飲み友達だった。

彼との昔の思い出が頭の中を巡る。

中学3年の時、二人とも当時で言う洋楽のファンで、共にS盤アワーのファンでもあった。

私はヘレン・シャピロのファン、彼はジョニー・ソマーズのファンで、それぞれを自慢し合っていた。

久しぶりに再会した時、彼との最初の話題は当時の洋楽に関する話題であった。

彼は私が、ヘレン・シャピロの歌を英語で歌っていたことを印象深く覚えており、私は、彼がジョニー・ソマーズのレコードを片っ端から買っていたことを覚えていた。

たったそれだけの会話で、昔に戻った我々は、もっと語り合いたいと飲みに行った。

それから、月一回の定例飲み会が始まった。

最初は二人であったが、五人まで広がり、コロナ禍が始めるまで、定例飲み会は続いた。
私は70歳過ぎても続く飲み仲間を大事にした。

特に、彼との付き合いを大事にした。

彼は税理士で税理士事務所を開いており、私が起業した際、迷わず彼に会社の税理をお願いした。

彼は、低料金で損得抜きの税理以外の会社の手続きに関することも気楽に相談に応じてくれた。

私が余計なことに工数を取られることなく、効率の良い会社運営が出来たのは彼のお陰である。

コロナ禍で飲みに行かなくなっても、会社関係の手続き等で何かある度に、彼の事務所に出かけ、だべって帰っていた。

彼は日頃から、自分が死んだら、みんなに迷惑をかけたくないので、絶対に身内だけの家族葬にすると言っていたが、その通りを実践した。

彼は奥さんに、自分が亡くなった時の手続きを全て説明して亡くなったと、奥さんから聞いた。

奥さんはその手順に従って、火葬を済ませた翌日、私のところに電話して来てくれた。

いかにも彼らしいと思った。

然し、彼の携帯を使って、夫の死を知らせる電話をしなければならない奥さんの気持ちを思うと、辛いものがある。

また折り返して電話した時、亡き夫の携帯にかかってきた電話を取らなければならない気持ちを思うと、耐えがたくなるほど辛いものがある。

それでも、知らせてくれたことに、感謝するのみである。

有言実行、彼の死に際は実に見事で、長年親しく付き合った友を誇りに思う。

私も死ぬ時は、彼と同じようにしたいと思っているが、彼のように完璧に出来るかどうか自信は無いが、死ぬ時はこうすれば良いと、身をもって教えてくれた友に改めて感謝する。

遠く彼方から、彼が、「これが俺が日頃言っていた死に様だ」と言っている声が聞こえて来るようである。

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