運転に支障を来たすという理由で、車の走行中テレビ画面を映さない仕様になって久しい。
この危険回避策は正しいと思うし、やるべきだと思う。
わかってはいるのだが、自分の意思と関係なく、強制的にテレビ画面が消されることは、心情的には許しがたいものがある。
テレビキャンセラーは、走行中でもテレビ画面を消さないための装置(チップ?)である。
画面が映っても観なければ良いだろうという屁理屈をこねて、私は車購入時、テレビキャンセラーをつけた。
昔は車の構造がシンプルだったので、配線を外すだけで良かったようであるが、然し最近の車は電化が進み、そう簡単には行かない。
ほとんどの機能が、組み込まれたチップとソフトで作動する。
当然、テレビ画面制御もソフトが行っているので、テレビキャンセラーなる装置が必要なのである。
車を購入して5年経つが、ここ半年、車のバックモニターが時々誤動作するようになった。
車をバックさせる時、バックモニター画面に切り替わらない、または逆にギアをドライブに入れても、バックモニター画面から切り替わらないというトラブルである。
慣れると、車をバックさせる時、バックモニターがないと恐くてたまらない。
特にスーパーの駐車場でバック駐車させる時、平気で車の後を横切る人がいるので、とても恐いのである。
ディーラーに持って行き、誤動作の原因を調べてもらった。
然し、異常を示すログは残っておらず、原因が特定出来なかった。
テレビキャンセラーが悪さをしているのではないかといういうことしか言えなかったようである。
私が推測するに、車本体の画面を制御するソフトと、テレビキャンセラーの制御ソフトがある条件下で、不整合を起こしている。
購入して4年以上現象が起き始めたことと、ソフトが経年劣化することはあり得ないことを考え合わせると、その間で行われたソフトのアップデートによるデグレードではないかと考えることが自然である。
ディーラーの整備の方にその旨のことを話したが、この手の類いのトラブルに対し、打つ手がない。
車のソフトはブラックボックス、故障診断ソフトもブラックボックスで、与えられたマニュアル通りの手順でしか、チェック出来ないので無理もない。
ディーラーの整備士が、とりあえずキャンセラーを外して走ってみて下さいと言うので、外して車を走らせている。
車を動かせるのもソフト、走行中のログデータを取り、故障診断するのもソフト。
両者ともソフトなので、万が一、重大なバグが潜んでいたらと思うと、とても恐い。
ソフトには絶対、バグが潜んでおり、それが目に見えないというのは辛いものがある。
そんなことを感じさせた、今回のテレビキャンセラーのトラブルである。

私が以前弁護を担当した交通死亡事故案件での話です。
運転手は別に走行中にテレビを見れることは望まなかったのですが,販売店の営業マンが「気を利かせて」走行中にテレビを見れるようにしてしまいました。
そのため運転手は走行中にテレビを見てしまい,その結果歩行者の発見が遅れ,死亡事故を起こしてしまいました。
その点を情状として主張したところ,運転手には執行猶予が付きましたが,もちろん失われた命は決して戻っては来ません。
ふぃーゆパパさん
コメントありがとうございます。
ふぃーゆパパさんのお言葉がずしりと胸に響きました。
テレビキャンセラーは破棄しようと思います。
ソフトのバグ、見えないだけにウイルスに似た恐怖がありますね。
広島ブログのサイトにもバグ?があって、ポイントログの1部が時々消失していますね。
これも困ったものです。(^_^;
ヤンシーさん
コメントありがとうございます。
ソフトのバグは本当に恐いです。
昔の方がソフトの品質は良かったと思います。
ソフト技術者の品質に対する意識が、昔に比べ低くなっています。
5Gの時代になったら、どうなるのでしょうか。
広島ブログに関しては、かなり品質が低いと思っていますが、無料なのでこの程度のものだと割り切っています。
別件です。
以前はサイト作りに関わっていたとやら。
ならば「とほほのWWW入門」は御存知でしょうか。
何故か、「とほほの広島ラーメン入門」なんて記事を立ち上げましたので情報です。
https://www.tohoho-web.com/ot/hiroshima-ramen.html
彼は広島の人だったのでしょうか
呑兵衛あなさん
本格的なサイト作りはやっていません。
担当の頃は、メインフレームのOSの開発、管理職になってからはネットワークインフラ(TCP/IPプロトコルスタック開発、ネットワーク管理システム、某社ルータのソフト開発、某社のメイルサーバ開発、セキュリティ関連(PKI、認証基盤)開発など、世間のITイメージとはかけ離れた地味な開発を手がけていました。
「とほほの広島ラーメン入門」の作者は、サラリーマン時代の私の部下です。
15年くらい、一緒に働いていましたが、とても優秀な技術者でした。
サラリーマンでなくても、独立して十分やっていける技術を持っていました。
当時のことを懐かしく思い出しました。