今年の孫へのお年玉は、500円玉8個。
金額が相場より多いか少ないかわからないが、小学生になった時、お年玉を5千円やるというストーリーを立て、孫が幼稚園の年少になった時2千円、年中になった時3千円、年長になった今年4千円と1年ごとに千円ずつ増やした。
昨年までは、千円札にしていたが、まだお金のことがよくわからないようなので、今年はわかりやすいように500円玉にした。
案の定、孫は、いっぱいあると言って、とても喜んだ。
お年玉について、恐らく私は一般の方とは違う考えを持っているように感じる。
お年玉とは、正月に挨拶に行った時、「はい、お年玉」と言って手渡された時の孫の喜び、またその喜ぶ姿を見て、渡した方も幸せな気持ちになるというものではないだろうか。
やたら、多くのお金をやれば良いというものではない。
また私は、正月に挨拶に来ない孫には、お年玉はやらない。
正月に実際に会って挨拶を交わし、手渡しでお年玉を渡すことに意義があると思う。
多くの方が、正月に孫が来ないと、お年玉を送ってやると聞くが、私はその考えには反対である。
会いもしないのに、お金だけ渡すということは心の交流がなく、おかしいと考えるからである。
ましてや、キャッシュレスのお年玉なんぞ論外である。
グランパはお年玉マシンではないぞと言いたい。
東京の孫は今年受験で帰って来なかったので、お年玉はなし。
その代わり、首尾良く受験に合格したときは、お祝いを奮発してやろうと思っている。
きっと私は、可愛げのないおじいさんなのだろう。
