丁寧な説明が必要な国民葬ってあり得るのか?

安倍元首相銃撃事件は日本国民にとって、悲しい痛ましい事件である。

断じて許される事件ではない。

然し、その阿倍元首相の国民葬が行われると聞き、少々驚いた。

私は阿倍元首相について、何の偏見も持っていないが、記憶に残るような功績も思いつかない。

それ故、何故国民葬とするのか根拠がわからない。

強いて挙げれるとすれば、首相として最長不倒記録を記録したということくらいだろうか。

野球や相撲では、連続出場記録等は一つの勲章になっている。

然し、首相は長く務めれば良いというものではないだろう。

国民葬にする根拠をどう政府が説明するのだろうかと、ニュース等に注目していたが、納得の行く説明を聞くことは出来なかった。

むしろ説明を避けている感さえある。

そして、国民葬にすることに対し、「国民に丁寧に説明し、納得してもらう」という発言は度々聞いている。

とても違和感を覚える納得のいかない表現である。

国民葬とは国民がその栄誉を称え、心から望んで行なわれるべきものだと思うので、丁寧な理由説明を必要とする類いのものではないと思う。

ましてや、「納得してもらう」と言う表現は、反対意見も多いということを自ら認めた発言ではないだろうか。

私はむやみに国民葬に反対しているわけではなく、納得の行く理由を示して欲しいだけである。

その理由を示すことが出来ない国民葬ってあり得ない。

結局は「国民に丁寧に説明し、納得してもらう」という行為はなく、なし崩しに行うのではないだろうか。

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