車のクラクションで思うこと

買い物に行った折、駐車場が混んでいたが、ちょうど2台分の駐車スペースが空いていたので、そこに車を駐めようとした。

然し、その2台分のスペースにまたがって3人の女性が、おしゃべりしている。

私が車を駐めようとしていることに気付いても、そのまま移動することなく、おしゃべりを続けている。

しばらく様子を見ていたが、移動する気配が全くない。

我慢出来ず、周りに他の人がいないこともあり、クラクションを鳴らした。

車から降りて、スペースを空けてくれというのも変だと思ったからである。

ところが、クラクションを鳴らした私が悪いかのごとく、3人が私の方をみて、何かささやきながら、やっとスペースを空けた。

私の立場からすると、車を駐める目的の駐車スペースを占有して話し込むこと自体が非常識であるし、ましてや車が来ても話を止めず、移動しないというのも非常識だと思う。

逆に、3人の女性が駐車スペースで話し込むことが迷惑なことではないと思う人達であれば、クラクションを鳴らす私を非常識な人間と思うのだろう。

人によって道徳観や価値観がことなり、それに伴い、判断基準が異なる。

普遍的と思っていた道徳観が通用しない人種が増えて来た。

恐いことである。

正しい行動を取っていれば、大丈夫という時代ではなくなっている。

取った行動が正しくても、「正しい」ということが通用しない人が増えて来ているので、理不尽な攻撃を受けることもあり得る。

自分が正しいと思っても、絶対に喧嘩や口論は避けるべきである。

相手がどう出るかわからないからである。

今回、クラクションを鳴らして一言言いたかったが、止めておいた。

相手にしなければよいだけのことである。

この歳になってやっと、悟った感じである。

広島ブログ


にほんブログ村


日記・雑談(70歳代)ランキング