厳島神社の3女神について

古事記を始めとする神話の世界の話は面白い。

厳島神社を調べていて、宗像大社の祭神も同じ3女神で、建てられた時期もほぼ同じ時期のようなので、どうしてこのようなことが言えるのか、納得が行かず、もう少し詳しく調べてみた。

その結果、間違っている個所はあるかも知れないが、以下のようなことがわかった。

厳島神社の祭神は

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)

のいわゆる3女神である。

神話によるとこの3女神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が素盞鳴尊(すさのおのみこと)の剣を噛み砕き、息を吹きかけて生まれた3柱の神である。(神話の詳細な内容は省略する)

何故同じ3女神が、同じ神社の祭神となっているのか、宗像神社と厳島神社の言い分は異なっている。

宗像大社の社伝によると、宗像に3女神が降りて来て、宗像に社殿を建てたことが始まりで、3女神のうち、どの神かわからないが、1柱の神が広島に降り、厳島神社を建てたとある。

根拠の一つとして、日本書紀に、天照大神から宗像三女神へ「歴代天皇をお助けすれば、歴代天皇が祀るでしょう」という記述が残されている点にある。

また沖ノ島から出土した約八万点の国宝から国家祭祀(天皇の遣い、勅使(ちょくし)が現地に赴いて、祭りをすること)の痕跡があることが確証の一つとなっている。

厳島神社の社伝によると、瀬戸田に降りた3女神の鎮座する候補地選びを佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下り、3女神と共に島の浦々を巡り、現在地を選んで御社殿を建てたとある。

その時期は推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられている。

厳島神社と宗像大社の社伝を見ると、宗像大社の方に部がありそうだが、お互いがお互いの言い分を主張し合って決着はついていないようである。

神話の世界のことなので、真偽のほどはわからないのは当然であるが、私が面白いと感じたのは、ほぼ同時期に同じ神が2個所に降りているという点である。

広島と福岡と離れた場所で、当時は歩く以外移動手段がなく、ネットワークもないので情報も共有出来ない。

それでも、同じ言い伝えがあるのには、何かがあるのだろうと思うのである。

だから神話の世界は面白い。

ちなみに神社につく国家予算の額は、圧倒的に宗像大社の方が多いらしい。

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草津八幡宮

受講中の「古事記講座」で、広島で最初の八幡宮だと聞き、草津八幡宮に行って来た。

直ぐ近くにある神社であるが、今までは興味を持つことがなく、行ったことがなかったが、古事記を始めとした神話に興味を持ち始めると、急に色々なことが気になる。

草津はかつて海の側に立地した入江だったようである。

草津八幡宮は社殿によると、推古天皇の時代に「多紀理姫命」を海路の守護神として祀ったのが当神社の創祀と言われている。

ちょうど同じ時期に、「市杵島姫命」を祀る宮島の厳島神社が創建された。

この「多紀理姫命」と「市杵島姫命」は、宗像大社の祭神であるいわゆる宗像三女神に中の2柱である。

話が混乱してくるので、宗像三女神等の詳細は省くが、私が興味を惹くのは、草津と宮島という近い地域にありながら、三女神の1柱である「多紀理姫命」が草津八幡宮、もう1柱の「市杵島姫命」が厳島神社というのには何か理由があるのではないだろうかという点である。

神社の歴史としては、鎌倉時代前に武蔵国渋谷郷(現、東京都渋谷区)から当来た渋谷氏が宇佐八幡宮より勧請し、古くより当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建したとされるので、この時代から八幡宮となったのだろう。

また、宗像三女神の内、市寸島姫命と湍津姫命は明治25年厳島神社より勧請され、素盞嗚神、倉稲魂神、金刀比羅神は明治末期神社統廃合の折、合祀された。

草津八幡宮には面白い伝承が残っており、神武天皇東征時、阿岐国[安芸国](あきのくに)この草津八幡宮に滞在されたとも言われている。

また神功皇后の朝鮮出兵の折、この地で軍船の船揃えをし、弓矢(箭)の訓練をしたとも言われている。

神武天皇東征については、神武天皇東征の滞在先は、埃宮にある多家神社とも言われており、何が正しいのかわからない。

ただ、神話には、古事記以外に日本書紀、風土記、古語拾遺、各地域の伝承等々、様々な情報が散乱しており、同じ事象に対し、これという解はないものの、その情報を整理すると、一つに仮説が成り立つような気がしている。

何が正しいかわからないが故に、入手した情報を基に、あれこれと思いを寄せるのは、とても楽しいものである。

草津八幡宮から、広島の街並みが見える。

然し、昔は同じ場所から眼下に波が打ち寄せている風景を楽しんだり、時には恐い思いをしながら見ていた古人がいたのだと思うと、不思議な気持ちになるのである。

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